嘘の現実

2015年7月15日 日記
◆メディアリテラシー

これから、すごく簡単なことを言いますよ。

例えばの話、
タレントのスキャンダルについて、特集が
テレビに流れたものの、実際にそんなことは
まったくなかった、とします。

スキャンダルはなかったのですが、
そのことを知ることができない私たちは
「スキャンダルがあった」という現実認識を
とりあえず持たざるをえません。

私たちの現実は情報源への信頼に
依存しているということですね。

もはや誰もが分かっていることでしょう。

◆認識は期待になる

ここからは、ちょっと変わった話になります。

たとえ誤った現実を得てしまったとしても、
その人にとっては他の現実と区別できません。
(せいぜい、保留をつけるくらいでしょう)
よって、誤った現実をも前提とした行動を
とるようになります。

そのような行動は、誤った前提においてこそ
一番嬉しい選択肢であったはずです。
そのため、誤った現実への訂正の動きが
出てきた場合には、不都合が生じます。つまり
「(誤っている)この現実のままであってほしい」
と思います。

振り返ってみると、
「現実はこうであるらしい」という認識が
「現実にこうあってほしい」という期待に
結びついていることが分かります。

◆期待は現実になる

さらに、他人との関わり合いについても
見てみましょう。

スキャンダルの例を再び用います。
世間話では、タレントのそういった側面が
話題になることは多いでしょう。そのときに
話の前提であるタレントについての認識が
ズレていたら、ちょっと話しづらいですよね。
同じ前提に立っている人とはスムーズに話が
できるため、皆でその状態を目指します。

株取引についても似たようなことが言えます。
現実の事実よりも、他の人がどのような認識を
持っているかが重要であるということです。

私たちの現実認識は必ずしも正しい
現実を認識しようとはしていません。
他人との関わり合いにおいて便利な
現実認識が行われることが分かります。

◆現実→認識→期待(→現実)

スキャンダルが報道されたとき、私たちは
認識を通して期待を生み、新しい現実を
つくります。誤っていても問題になりません。

以上、嘘は現実になるという話でした。

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