◆メディアリテラシー
これから、すごく簡単なことを言いますよ。
例えばの話、
タレントのスキャンダルについて、特集が
テレビに流れたものの、実際にそんなことは
まったくなかった、とします。
スキャンダルはなかったのですが、
そのことを知ることができない私たちは
「スキャンダルがあった」という現実認識を
とりあえず持たざるをえません。
私たちの現実は情報源への信頼に
依存しているということですね。
もはや誰もが分かっていることでしょう。
◆認識は期待になる
ここからは、ちょっと変わった話になります。
たとえ誤った現実を得てしまったとしても、
その人にとっては他の現実と区別できません。
(せいぜい、保留をつけるくらいでしょう)
よって、誤った現実をも前提とした行動を
とるようになります。
そのような行動は、誤った前提においてこそ
一番嬉しい選択肢であったはずです。
そのため、誤った現実への訂正の動きが
出てきた場合には、不都合が生じます。つまり
「(誤っている)この現実のままであってほしい」
と思います。
振り返ってみると、
「現実はこうであるらしい」という認識が
「現実にこうあってほしい」という期待に
結びついていることが分かります。
◆期待は現実になる
さらに、他人との関わり合いについても
見てみましょう。
スキャンダルの例を再び用います。
世間話では、タレントのそういった側面が
話題になることは多いでしょう。そのときに
話の前提であるタレントについての認識が
ズレていたら、ちょっと話しづらいですよね。
同じ前提に立っている人とはスムーズに話が
できるため、皆でその状態を目指します。
株取引についても似たようなことが言えます。
現実の事実よりも、他の人がどのような認識を
持っているかが重要であるということです。
私たちの現実認識は必ずしも正しい
現実を認識しようとはしていません。
他人との関わり合いにおいて便利な
現実認識が行われることが分かります。
◆現実→認識→期待(→現実)
スキャンダルが報道されたとき、私たちは
認識を通して期待を生み、新しい現実を
つくります。誤っていても問題になりません。
以上、嘘は現実になるという話でした。
これから、すごく簡単なことを言いますよ。
例えばの話、
タレントのスキャンダルについて、特集が
テレビに流れたものの、実際にそんなことは
まったくなかった、とします。
スキャンダルはなかったのですが、
そのことを知ることができない私たちは
「スキャンダルがあった」という現実認識を
とりあえず持たざるをえません。
私たちの現実は情報源への信頼に
依存しているということですね。
もはや誰もが分かっていることでしょう。
◆認識は期待になる
ここからは、ちょっと変わった話になります。
たとえ誤った現実を得てしまったとしても、
その人にとっては他の現実と区別できません。
(せいぜい、保留をつけるくらいでしょう)
よって、誤った現実をも前提とした行動を
とるようになります。
そのような行動は、誤った前提においてこそ
一番嬉しい選択肢であったはずです。
そのため、誤った現実への訂正の動きが
出てきた場合には、不都合が生じます。つまり
「(誤っている)この現実のままであってほしい」
と思います。
振り返ってみると、
「現実はこうであるらしい」という認識が
「現実にこうあってほしい」という期待に
結びついていることが分かります。
◆期待は現実になる
さらに、他人との関わり合いについても
見てみましょう。
スキャンダルの例を再び用います。
世間話では、タレントのそういった側面が
話題になることは多いでしょう。そのときに
話の前提であるタレントについての認識が
ズレていたら、ちょっと話しづらいですよね。
同じ前提に立っている人とはスムーズに話が
できるため、皆でその状態を目指します。
株取引についても似たようなことが言えます。
現実の事実よりも、他の人がどのような認識を
持っているかが重要であるということです。
私たちの現実認識は必ずしも正しい
現実を認識しようとはしていません。
他人との関わり合いにおいて便利な
現実認識が行われることが分かります。
◆現実→認識→期待(→現実)
スキャンダルが報道されたとき、私たちは
認識を通して期待を生み、新しい現実を
つくります。誤っていても問題になりません。
以上、嘘は現実になるという話でした。
コメント